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「福沢諭吉の正体」-⑦ . はてなブックマーク  Twitter   2014-09-23

 福沢諭吉は、いわば大工(簿記)の見習いであった。見習いが始めた学習塾が慶應義塾だ。当時、匠(たくみ)のレベルに達した大工(番匠。ばんじょう。)が日本にいないことをいいことに、自ら番匠風(かぜ)を吹かせ、棟梁として一般の家屋の建築(私企業の会計)を請負っただけでなく、宮大工として寺社の建築(公的部門の会計)をも請負った。
 今から140年前、簿記を『帳合の法』としてアメリカから導入した福沢諭吉を大工に譬(たと)えれば、上記のようになるだろう。日本には当時世界でも最高レベルに達していた記帳システム(大福帳システム)が存在していたにもかかわらず、それをあっさりと打ち捨て、いくつかの仮定のもとに組みたてられているレベルの低い簿記をそのままの形で持ち込んだのである。無知のなせる業(わざ)である。前に、盲(めくら)蛇に怖(お)じずと言ったのはこのことだ。(「福沢諭吉の正体-②」参照)

 その後、一般の私企業においては簿記特有の欠陥を承知の上でうまく使いこなしてきた。簿記で計算された数字をそのまま真(ま)に受けて企業経営に用いることなく、経営者の判断でうまく修正して使いこなしてきたのである。
 しかし、公的部門(国、地方公共団体、裁判所)はそうではなかった。福沢が導入した生煮(なまにえ)の簿記を金科玉条のように扱って現在に至っている。一般の企業と違って、公的部門は親方日の丸だ。間違っても倒産することはないし、誤りをチェックする者がいない。どのような扱いをしようとも気軽なものである。やりたい放題だ。収支計算、あるいは財産計算に関する判例の多くが、トンチンカンで的外れであるのに、是正されることなく放置されているのがいい例である。
 具体的に言えば財政法、会計法、あるいはその他財産とか収支計算に関する法律とか判例がそうである。現在でも明治憲法下のそれらが基本的に変っていない。明治憲法下で成立した、脱税を摘発するための国税犯則取締法とそれに関連する判例が現在もそのまま引き継がれているのと同断である(「脱税は犯罪ではなかった-1」~「脱税は犯罪ではなかった-7」参照のこと)。
 
 役人(官僚)が自分たちのために、つまり、自分達の使い勝手がいいように作っているのが財政法であり、会計法だ。訴訟法(刑事訴訟法、民事訴訟法)も同様である。判例も無批判的に右にならえだ。
 明治憲法下ではそれでよかったかも知れない。しかし、現在の憲法は主権在民を旨として、国民一般が国の主人公であると定めている。財政法も会計法も、あるいは訴訟法も、役人(官僚)のためでなく、国民のためのものに切り替えるべきであったが、切り替えられることはなかった。
 
 現在の財政法と訴訟法の実態と問題点について、認知会計の視点からの分析を行ってみた。その概要については、別稿に譲る。
 
 憲法上、国民が主人公であるといっても実態は異っている。実態は、官僚が一般国民の上に君臨し、為政者として国を統治しているのである。為政者であり権力者だ。政治家は彼らの操り人形にすぎない。これが明治以降、100年以上も続いてきた官僚制の実態だ。
 役人(官僚)が国の財政と裁判権を自らの手中において、自由気ままにコントロールできることは、国を統治していることを意味する。カバナーであり、為政者である。三権分立など建前だけのもので、所詮絵に画いた餅である。
 
 明治憲法のもとでは、為政者としての官僚の権力は、国の暴力装置と国のサイフを握ることによって保証されていた。
 軍部、治安警察、国税が暴力装置の役割を果した。この3つの暴力装置で国民に睨みをきかせる一方で、国のサイフまで握ることができるのであるから、古今東西あまた出現した独裁者をいだく独裁国家と変るところがない。
 現在の日本も基本的に同じである。かつての陸軍とか海軍といった軍部はなくなったが、なくなったのは形の上だけのことだ。自衛隊という世界有数の軍隊がしっかり存在している。
 元来、自衛隊というのは憲法違反の存在だ。第二次大戦後に勃発した朝鮮戦争とか東西冷戦のために、もっぱらアメリカの御都合主義とアメリカに追随する日本の政治家・官僚の詭弁によって、自衛の名のもとに敢えて憲法が禁じている戦力を持つようにしただけのことだ。
 
 昨今、集団的自衛権の行使を安倍内閣が閣議決定をして物議を醸(かも)しているが、何のことはない。もともと自衛隊ができた当初から、集団的自衛権の行使も予定されていたことだ。これまでの自民党政権と官僚が個別的自衛権の行使は容認されるとする一方で、集団的自衛権の行使については頑なに否定してきたのは、憲法違反が余りにも明白であるために、そこまでの詭弁を弄することができなかっただけだ。
 それを安倍・麻生のコンビがゴリ押しをした。厚顔無恥である。福沢諭吉の言葉を借りれば、“無知文盲の輩(やから)”の暴走である。
 その上、秘密保護法を制定したり、これまで慎んで来た武器の製造・輸出もおおっぴらにできるようにしてしまった。中でも、原発が核の抑止力として働くことを公言し、原発が核兵器工場であることを事実上認めるに至ったことは特筆されていい。日本が核保有国であることを宣言したに等しいからだ。残るのは憲法9条の改正と徴兵制の実施だ。戦前の軍事国家への道である。
 この道は、かつて福沢諭吉が、日清戦争に際して声高に叫んだ「強兵富国」(「富国強兵」ではない!)と「脱亜入欧」(注)への道だ。アジテーターとしての福沢諭吉の亡霊がよみがえり、太平洋戦争へと突き進んでいった悲惨な歴史が繰り返されようとしている。平和国家・日本の危機である。
(この項つづく)

  1. (注)「脱亜入欧」。脱亜入欧(だつあにゅうおう)とは、「後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパの列強の一員となる」ことを目的とした、日本におけるスローガンや思想のこと(ウィキペディア)。
 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。
”カキャクセンマンギョンボンはアナも噛む” -我孫子、千賀美
(毎日新聞、平成26年8月5日付、仲畑流万能川柳より)

(隣のガキはよくヒト食うガキだ。)

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