003「冤罪を創る人々」 序章

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一、 平成5年9月28日の広島国税局の査察(俗にいうマルサ)のガサ入れに端を発した私をめぐる“事件”は、平成15年10月4日の最高裁の上告棄却によって一応の幕を閉じた。

 その結果、訴追された“事件”のうちの、本件については無罪(控訴審の判決時に確定)。別件については懲役1年6ヶ月執行猶予3年の有罪が確定した。

 このため、私は、執行猶予期間の3年間、公認会計士の登録が抹消され、30年にわたって使ってきた公認会計士の肩書を使うことができなくなった。

 

二、 有罪とされた別件については、起訴自体が検察官の訴追権の濫用の疑いが濃厚なものであり、それを受けた各段階の裁判所の判断についても、有罪とするに十分な根拠を示すことなく、本件の影に隠れて流されていった印象が強いものである。別件とされた3件の事案は全て、今まで起訴にまで持ち込まれたことは一度もない類いのものであり、有罪判決が確定した現在でも、私にとって決して納得できるものではない。今後、日本の裁判制度のあり方をめぐって、改めて問い直されるべきであろう。

 ただ、別件については、当初から事実関係について検察、弁護側双方とも基本的に争いはなく、私も事実を全面的に認めていたものであり、その点、検察当局と裁判所に対して不満は残るものの、それ以上のものではない。検察当局による事実の捏造、証拠のデッチ上げがなされていないからだ。



三、 しかし、本件とされたマルサ事案については様相が一変する。

 事実関係が意図的にネジ曲げられ、真実ではない数多くの証拠が創り出されたからである。

 それは、査察の捜査に始まり、検察による逮捕、取調べで頂点に達し、公判期間中も延々と続くこととなった。私を含む数十人の関係者が、虚偽の自白を強要された。誘導尋問にはじまり、脅したり、すかしたり、騙したり、まさに「なんでもあり」の世界が展開された。

 これらの軌跡は、私の手元に膨大な資料として残された。私が作成した詳細なノート、意見書、コピー、録音及び録画テープ、検面調書、公判記録等である。



四、 マルサのガサ入れに際しては、正直言って、足が震えたし、検察による逮捕に至っては、顔から血の気が引いた。

 しかし、私には、冷徹かつ客観的に自らを見つめるもう一人の私がいたようである。

『この人達は一体何をしようとしているのだろうか。真実は当事者である私が一番よく知っている。国家権力をもって強引に真実を歪め、私を罪に陥れようとしている。

 招かれざる客人達ではあるが、押しかけてきたからには仕方がない。じっくりとお手並みを拝見することにしようではないか。』

 もう一人の私は、いわば居直ったのである。



五、 以下、主に取り上げるのは、本件であるマルサ事案であり、別件については、必要な範囲で言及するにとどめることとする。

 多くの人々が、社会正義の名のもとに、意図的かつ、組織的に無実の罪(冤罪)をいかに捏造しようとしたか、全て事実に即して明らかにする。

 公職にあった人物については、当時の肩書を付した上で、原則として実名とした。彼らの言動は、現在の私の記憶にもとづくものではなく、全て当時のメモ、録音、録画及び裁判記録等にもとづいて再現する。

 マルサも検察も国家権力を象徴する存在であり、国民の生命財産に関する生殺与奪の権限を握る暴力装置である。法律によって強大な権力と権限とを与えられた暴力装置がひとたび暴走を始めたとき、自らの行為を正当化し、組織を防衛するためにどのような対応をしたのか、それぞれの立場の人物の行為を明らかにすることによって浮き彫りにする。

 私の視座は、彼らに想像を絶する仕打ちを受けた被害者の立場を離れ、この10年間の軌跡を冷徹に俯瞰する観察者の立場に立つ。

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